身から出た寂

堪えきれず出てしまった一人言を5人くらいに見て欲しい、そんな自己承認欲求を満たすための場所です。野崎まどについてばかりになると思います。

書くことを思い付かない時に、お題を思い付く方法

お久しぶりです。

 

そろそろ更新しないとヤバいなと思い立ったので、twitterでブログのお題を募集してみたらタイトルの通りのものが投げつけられてきました。

私自身がお題思いつかないからtwitterでお題を募集したはずなのですが、これは広い意味でのブーメラン的なものなのかもしれませんね。よく分かりません。

 

 

仕方がないので少し真面目に考えてみると、「書くことが思いつかない時」というのは、自分の中からだけでは何も出ないような状態であることだと思います(もしくは自身が無くて出し渋っている時ですが、まぁ似たような状態と言えるでしょう)。

 

つまりは、外からお題を見つけてこないといけない訳で、だからこそ今回私はtwitterという手段を用いてみた訳です。

 

じゃあ他にどんな手段があるかなと考えた時に、一番お手軽なのは本じゃないかなと。

特に辞書とかそこら辺の、情報が羅列されているような本。こういうのを適当にパラパラめくってピンときたものをお題にしたり、見ている内に何かのきっかけで自分の中の思わぬ引き出しが開いたりすると思いますし。

 

 

ということで、せっかくなので私も手元にあった本をペラペラめくってみようと思います。 

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365

 

 

「善いサマリア人

「認識論」

「ポール・ゴーギャン

ヴィーナスの誕生

 

いろいろ豆知識的なものが書かれていて面白いです。

認識論のページでは、伝統的に哲学者たちは、知識とは「正当化された真なる信念」だと定義しているそうです(一方で「正当化された真なる信念」の全てが知識であるとは限らないとも)。

 

興味深い話ですよね。

 

 

 

ところで、知識といえば野﨑まど先生の作品に『know』というタイトルの作品があります。

 

know

know

 

 

簡単な世界観の紹介をざっくりと。

 

2081年の京都では脳に《電子葉》という脳の情報処理を補助する機械が多くの人に埋め込まれており、電子葉を得た人々はちょっとした思考=《鍵刺激》があれば一瞬で調べられる力を手に入れていた。つまりは、調べた事と元々知っている事にタイムラグがほとんどなく、若者はネット上にある情報を全てを“知っている”事と表現するような世界であった。

そんな世界を舞台に、師を敬愛する一人の青年ととある少女の、世界を変える四日間がこの物語となっている。

※とても面白いのでまだ読んでない人は是非読んでください

 

 

この『know』の世界では、「調べられること=知っていること」という定義がなされている訳ですが、この世界には最初から全知の人はいません。

これは、この世界の設定としてカースト制度のようなクラス分けがなされているとか、ネット上の情報が全てではないとか、そういった話ではありません。

 

先の説明文に書いたように、この世界の人たちは何かを調べるためには《鍵刺激》が必要になります。簡単に言えば、「カレー」について知りたくても自分の意識に「カレー」という単語や連想されるようなものが無ければ「カレー」について調べられない=知ることが出来ないということです。

とどのつまり、元々の持ち合わせている知識や周囲に刺激になるような環境が無ければ、調査速度以外は現代の我々と大差がないということです。

 

 

何が言いたいかというと、「書くことを思い付かない時にお題を思い付く」には、現代でも『know』の世界でも選べる手段はほとんど同じで、似たような悩みを持っている人たちが2081年の京都にもいるんだろうなぁと思いを馳せたというお話です。

 

 

まぁ、上手いことまとめるとするならば、過去現在未来 いつの時代でもアイデアの枯渇というのはきっとあるもので、そんな永遠かつ深淵なテーマを投げかけてくれたtwitterの住人様には感謝しないといけないなぁ、なんて。

 

 

 

 

 

 

思う訳ないだろこのおばか!!