【その25】正解するカドの個人的解釈【2017/7/4時点】
私のツイートを載せているだけになります。ご了承ください。
正解するカドは、これまでの野﨑まど作品と一線を画す作品上の構造をしていると思ったところから始まります。
※前提知識として、野﨑まど作品の多くにおいて、何かしらの超越した能力を持つヒロインに主人公が振り回されるという構造があります。その過程で起きるいくつもの現象と、それらが収束し1つの結論へ、どんでん返しがありつつ行き着く流れが野﨑まど作品の魅力になっています。
難しい構造してるんだよね。
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
過去の野﨑まど作品から言えば、ストーリー上ヒロインはザシュニナで主人公が真道で、ザシュニナが繰り広げる異方の力に振り回されて、最後一矢報いるもどんでん返しでやっぱりザシュニナが凄いってなるようなものだったんだよ。でもそこが違った。
でも最終回から逆算すると、実はザシュニナが主人公で、真道をはじめとした人(類)がヒロインだった。ザシュニナは主に真道から与えられた情報や感情に振り回されて、それでも異方の力で人をコントロールしようとして一矢報いるもどんでん返しでやっぱり人が凄いってなったんだよ。
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
ここでミソなのが、ザシュニナが振り回されていることに対して、ザシュニナが自覚していないし人も振り回していると自覚していないとこ。この部分が表面化したのが9話あたりであり、潜んでいた構造が表立ってきた回になった。
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
沙羅花の存在意義は、表面上(潜在的には一貫している)の主人公側とヒロイン側が逆転した、ハッキリ目に見える象徴としての役割なのかな、と。沙羅花が異方存在であったという9話ラストの開示から明確に異方存在の物語が明らかになっていったし
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
深層:異方存在ヤハクィザシュニナのファーストコンタクト
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
表層:人類のファーストコンタクト(~8話)→異方存在のファーストコンタクト(9話~)→両者のファーストコンタクトの特異点(12話)
あ、捕捉。
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
もう1つこれまでの野﨑まど作品と異なる点を挙げるとすると、
・主人公から見た驚くべき現象の数々
・現象の数々が繋がって収束していく
・1つの結論へ行き着く
この流れのそれぞれの場面に使う時間が違った。収束が相対的に短くてそこをもっと見たいという意見が出やすいかも。
人側だと現象までで8話使ってるし、ザシュニナ側からでも現象が11話ギリギリまで使ってる。収束に使われた尺が短くてしかもそのなかでどんでん返しがあるからある程度野﨑まど作品の知識だったりが必要になってたかも。
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
結末として、幸花という異方存在と人類のファーストコンタクトの特異点が「私もまだ途中なの」と言うことは、その後もずっと続いていく物語であり、「考え続けなければならない」物語であるという意味。それは犬束首相の会見での今後の展望(フロンティア)への発言でその意味を重ねて伝えている。
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
幸花がザシュニナのことを「悪いやつじゃなかったよ」と言ったのは至極当然で、ファーストコンタクトにおいて対応が適切であることはほぼ有り得ない。過度になるのが当然で、たまたま人類側から見ればザシュニナの行動が過度で悪にも見えかねなかったことに対しての人(視聴者)へ向けたフォローかなと
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
だから、リアリティー()で言えば幸花のあのセリフは必要無かったかもしれない。でもこれはアニメでフィクションで作品で、客・視聴者がいるからそこへの最低限のフォローが必要だったのかな。それがちゃんと伝わりきるかは別として(まずこの解釈が適切なのかも分からないわけで)
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
野﨑まど作品的ともいえる主人公・ヒロインの配役が二重になっており、深層=異方存在側から見れば過不足ないSF作品になっていると思う。人類側から見れば、過不足のあるSF作品かもね。
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
だから、レビューとかで言われている人の感情の動きや政府市民の動向、急な恋愛要素の介入などは、それらを全く知らない・分からない異方側の視点からすれば細かい過程はあったのか無かったのか分からないものであり、結果の現象しか観測出来てなかった、それを映し出していたと見れば個人的には納得
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
アニメってそれに触れる人口が多くて、出来るだけ多くの人たちに面白いと思ってもらう・分かってもらうという形態のものであるとするならば、もう少しその変遷がゆるやかで伏線などもより分かりやすくするのがアニメ作品としては正解だったかも(そこら辺はけものフレンズが上手かったところかな)
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
でも、そこに気をとられ過ぎず、現状のアニメ制作における課題に挑戦して作り上げられたこの作品はきっと凄く貴重で、そのなかで最大限のパフォーマンスとクオリティと面白さを作り上げられた作品だと思う。
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
大好きな野﨑まど先生が関わり、東映アニメーションが野﨑まど先生の良さを生かしつつ素晴らしいクオリティで作り上げてくださった、考え続けられる作品に出会えて本当に良かった。感謝しかありません。本当にありがとうございます。
— 邸 和歌@C92(土)東キ-51a (@yasiki_waka) 2017年7月3日
まだ考え続けている途中ですが、少しまとまりが出てきたかなと思ったので記録として残させていただきます。